鳥栖市議会 2016-06-01 12月09日-03号
◆議員(柴藤泰輔) この第6章、今の答弁聞く限りでは相変わらず自虐史観の歴史教育をされているんだなと思いますが、そうなったのは我が国がこの大東亜戦争敗戦後の、占領軍のマッカーサーによる四大指令にあると思います。この四大指令とは、軍国主義や極端な国家主義の排除、教職追放、地理、歴史、修身の授業禁止といったGHQ主導による教育改革が進められました。
◆議員(柴藤泰輔) この第6章、今の答弁聞く限りでは相変わらず自虐史観の歴史教育をされているんだなと思いますが、そうなったのは我が国がこの大東亜戦争敗戦後の、占領軍のマッカーサーによる四大指令にあると思います。この四大指令とは、軍国主義や極端な国家主義の排除、教職追放、地理、歴史、修身の授業禁止といったGHQ主導による教育改革が進められました。
憲法が制定された時代は米軍の占領下で、日本政府の上に占領軍が君臨しておりました。大規模自然災害等に対しましても、憲法にそういう規定がなくとも、占領軍が超法規的に処理することができ、これを定める必要がありませんでした。安全保障の面でも、占領軍が日本を守ってくれました。
平和教育の歴史を見ますと、大東亜戦争敗戦後、占領軍の教育政策の方針を受け、文部省から昭和21年に出されたのが新教育指針であります。新教育指針は、戦争指導者の責任を追及し、国民の反省を促し、国民は世界に謝罪しなければならないとしています。そして、軍国主義と超国家主義の除去のために教育の重要性を説きました。さらに、これからの日本は平和国家、文化国家になるべきものであるとしています。
私なりに千栗神社のことを調べてみましたけれども、千栗八幡宮は創建以来、皇室、幕府と関係が深く、明治4年に社格制定し郷社に、明治36年、県社に、昭和15年11月1日に国幣小社へ昇格、昭和20年12月に占領軍からの国家神道廃止の指令で国の神社制定は崩壊し、新たに宗教法人として再出発を強いられて以来、きょうに至っているわけでございますけれども、本来は国の神社であったわけでございます。
ところが、敗戦ということを迎えまして、占領軍、GHQといいますか、この指導のもとにアメリカ式の教育が導入されたわけでございます。
その武士道精神は占領軍がもう徹底的にだめとやって、今ほとんどつぶれた。そういうことも一つ原因があろうと思うんですが、この武士道精神、弱い者を助ける、恥の心、これをこのいじめる者にはしっかりやってもらわにゃいかんと思います。 それから、いじめられる者は勇気が不足するんです。死ぬ勇気は持っているんですね。死ぬ、これは大変な勇気だと思う。
この愛国心は、私は敗戦のときに中学2年生でしたけれども、愛国心は悪いんだと、日本は侵略国だという占領軍の指導がございました。麻原彰晃以上のマインドコントロールをかけられたわけです。それで、その中におる人は記憶に新しいと思うんですけどね、柔道をやっちゃいかん、剣道をやっちゃいかん、日本人の子供は強うなっちゃいかん、柔道の精神がいかん、現にそう言う先生もおられました。
それを 8,000万人の日本にどんどんどんどん引き揚げてきていますから、人口はふえてきておったんですけれども、その何千万人という日本人の中に、何十万人かの占領軍が──当時は進駐軍と言っていました。占領軍が来て、「アメリカでは右側通行だ、おまえたち、右歩け」と、こうやられたんですね。
意見書第14号 自衛隊のイラク派遣中止を求める意見書案 政府は、イラク特別措置法によって米英占領軍支援のために武器を持った自衛隊をイラクに派遣しようとしている。しかし、イラクの状況は米英軍当局自身が「イラク全土が戦争状態」と認めざるを得ないほど、深刻化の一途をたどっている。 11月29日には、日本人外交官2人が殺害されるという痛ましい事件も発生した。
政府は、イラク特別措置法によって、米英占領軍支援のために武器を持った自衛隊をイラクに派遣しようとしている。今、イラクでは、連日のマスコミの報道にもあるとおり、各地で戦闘状態が起こっている。 日本は、憲法で「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明記した。そして戦後58年間、自衛隊員は一人も戦死せず、また一人の他国民も殺していない。
改革しなきゃいかんと思ったけれども、私は何もなすことを得ぬままに、世の中全体で、これは占領軍の力もあったわけですけれども、農業を開発し、自民党を初め、これは政党すべてを挙げて、農家を保護してきまして、今のような状況になっておる。
法律的には全く無意味な、このような措置はこれによって日本国民の中に長く生き続けてきた教育勅語のイメージを払拭しようとするもので、民主化促進の意図を含むものであろうが、恐らくは背後に控える占領軍の意向にこたえたもので、当時としてはやむを得なかったかもしれませんが、しかし、そのような政策は俗にいう、産湯と一緒に赤子まで流してしまう結果を招くことになったと思います。